両親のために作った料理についての感想の違いから気づいたこと。
料理をしない人間は、料理にかかった手間がわからない。
ゆえに、見栄えや、特に原価の高さ(材料の値段)を評価する。
父親は、チキンのグリル焼きに反応してご馳走だといった。
母親は、その横にあるきんぴらゴボウの出来を評価した。
まぁ見事に見ているものが違うなぁ、と思うわけだ。
料理をしないものには、材料のことしかわからない。
見た目の良さしかわからない。
野球をしたことがない人が、守備の絶妙さや、
配球の駆け引きがわからないのと同じようなものか。
余談だが、これについて思ったことは、
「嫁入り修行のために料理を習う」のは無駄じゃね?ってこと。
どれほど技巧をこらしたり手間をかけても料理したことがない相手なら、それはわからない。
むしろ、高い素材を簡単に調理した方が喜ばれるかもしれない。
特に、相手が成金であるほどそういう傾向が怒りそうな気がする。
素朴なメニューに手間ひまかけて美味しく仕上げることよりも
弁当のように手間をかけず、見栄えよいものを仕上げる方が評価されるとか。
つまり「家庭料理の真髄を発揮すればするほど、
相手が求めているものから遠ざかってしまう」かもしれないのだ。
(昔なら姑がチェックを入れたりしていただろうから
手抜きはできなかっただろうが、今はそれほど気にする必要はないだろう)
結局のところ、大事なのは相手に合わせたレベルで
相手が一番喜びそうなものを提供することなのかな。
料理経験の有無を見分ける方法 (via petapeta) (via error888) (via brccolsy) (via saitamanodoruji)
2009-05-14 (via gkojay) (via petapeta) (via newroutine)
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